平成の終わりに

 節目というのはなかなか便利なものでありまして、日本独自の暦みたいなのがもうじき変わるっつーことで、別に大した感慨もありませんが、すこし我が身を振り返ってみるのも一興かと。
 
 このブログを始めてから346日経つそうで、その間書いた記事が9つ。これって少な過ぎですよね。当初はアフィリエイトなんかで煙草銭でも稼げるかなんて欲もありましたが、この更新頻度では審査も通らない始末、世のブロガーなんて呼ばれてる方々は凄いなぁ、なんてな事を思いつつ、これを書いております。それでもまぁこんなブログに目を通していただいた酔狂な方もいらっしゃるようなので、この記念すべき(!)10個めの記事をもって謝辞にかえさせていただきたいと思います。
 
 しかし、自他共に認める怠け者なので毎日更新するつもりなんてサラサラありませんでしたが、ちょっとこれはひどい、何らかの対策を練らねば...ということで、煙草の煙で燻製になりかけた脳ミソで、あーでもねぇこーでもねぇと考えた結果、「あまりテーマを限定しないほうが良いのでは」ということに思い至りました。
 
 思えばわたくし、いろんなことに興味があり過ぎて、人様から「お前は何考えてんのかわからん」、「一貫性がない」、「分類不能」等々評されることがままあり、自分は一つ事に打ち込むというのがあまり得意でないのかも知らんなぁ、とぼんやり考えていたところ、年を経るごとに親をはじめ世間様から「そんなことではいかん」とお小言を頂戴するようになり、自分でも辟易するようなこともたまにあって、そんならこの性分を直さねばと思っていた時期もありましたが、どうすればそれが直るのか皆目見当がつかなかったうえに、思ったそばから別の事を考えてしまい、直そうと思ったこと自体を忘れてしまうという人間なのであります。
 
 そんなわけで、あまりテーマに囚われず、さらにとりとめのない記事を書き散らかしていこうと思います。そう言えばブログを始める目的の1つに、脳内整理というのがあったのでした。書きながら考えるという方法を実践してみようというね。勿論、旅や本や音楽なんかの好きなことも引き続き書いてくつもりなので、ブログのタイトルはこのままにしておきます。目にした方は、どうか温かく見守ってやって下さいまし。
 
 
 そろそろ本読みながら床に就きます。 

f:id:halu11:20190327031018j:plain

片道切符考

 1月7日から出国税が導入されたらしい。一律1000円。貧乏旅行者にとっては、いや、誰にとってもありかだい話ではないだろう。最近はトランジットで寄るだけでもオンラインビザの取得が義務づけられている国もあったりして、チマチマむしられる。テロやら不法移民やらが問題になっている昨今、世界的に出入国の管理が厳しくなっている気がする。
 
 私がいちばん止めてほしいと思っているのは、帰りのチケット所持の義務化である。これを要求する国はずいぶん増えたのではないか。一度に何ヵ国かまたいで気ままにプラプラして、帰りは別の国の空港からなんて旅をしようと思ったら、帰りのチケットなんて現地で後で買えばよいのだが、持ってなければ入国させてもらえないとなると、無駄になるのがわかっているチケットをしぶしぶ購入させられる羽目になる。そんな事をしたところで、テロも移民の流入も無くなるとは思えないし、なんだか旅する楽しみを奪われたような気にもなり、実に腹立たしい。(まぁもっとも、そんな旅もずいぶんしていないのだが...)
 
 この傾向、おさまらないものだろうか。寛容さに欠ける世界は、旅もしづらい。楽しくない。
 

視点をずらす

 最近、出先で時間を持て余すことが多く、少し前に話題になっていた『進撃の巨人』というのをみた。今更なので内容どうこうには触れないが、捕食されるというのはどういうことかと考えてみた。

 自然界に目を移してみると、“食われる”という、現在の人間社会においてはまず起こり得ないことが常として起きている。これを書いている今も、どこかで飛んでいる虫がいきなり鳥に食べられたり、海を漂うプランクトンが鯨の胃袋に吸い込まれたり、草食動物が肉食獣に襲われたり、蛙が生きたまま蛇に丸飲みにされたりしているかもしれないわけだが、いずれの場合も作中で巨人に食われる人間のように泣き叫んだり、命乞いをしたりということはないように思うのだが、どうだろう。断末魔の叫びなんてものは自然界にはないのではないか。

 自然界においては天寿を全うし、老衰して死んでいくなどほぼありえない。他の生物に捕食されるというのは人間社会に置き換えてみると事故死、他殺などにあたるのかもしれないが、それでも後悔や恨みも無く、潔く死を受け入れているように見える。

 してみると、人間とは“異様なまでに生に執着する生き物”と言えるかもしれない。その一方で、自殺する生き物というのも人間以外には聞いたことがない。私たちは自分で思っているよりも実に面倒な生き物なのである。

 他の生き物たちは私たち人間のことをどう考えているだろうか。

 

 

 

豊饒な世界観

 今年の二月、作家の石牟礼道子さんが亡くなられた。

 日本人なら誰でも聞いた事がある水俣病、その発生当時からずっと患者さん(と言うのか被害者と言っていいのか私にはわからない)に寄り添い続けた人生。その中で書かれた「苦海浄土」という作品がやはり代表作だろうか。

 もちろん、当時私は生まれていない。学校で習った知識としてしか水俣病の事など知らなかった。初めてこの大作を読んだのは、やはり3.11がきっかけだった。

 読んで何ともやりきれない気持ちになった。政府や問題を起こした「会社」の対応が全くと言っていい程同じだった… 

 

 と、まあそんなこんなで遅ればせながら石牟礼さんの読者になり、にわかファンになっていたので、訃報を聞いたときは少なからずショックだったのを覚えている。

 苦海浄土水俣病の石牟礼というイメージが強すぎて、ジャーナリスティックな視点で語られることも多いようだが、詩人としての一面もあって文章も素晴らしい。故郷である天草、不知火海付近の人々が自然と調和して暮らしていた古き良き時代の描写を読んでいると、是非ともそこに行ってみたいと思わずにはいられない。それらが今はもう失われてしまっているのだとしても。

 

 偉大な方が亡くなってしまった。すこし遅くなったが、改めて合掌。

 

 

 

 

ワールドカップ 日本対ベルギー戦分析

 日本の1点目とベルギーの3点目、開始直後・終了間際の5分間であららという感じで点が入るのはよくあることなので、お互い様。日本の2点目とベルギーの1点目、これは両方とも良いシュートだったので、これまたイーブン。
 
 鍵はベルギーの2点目。ベルギーは日本より先に選手を2人交代。点を取って追いつくための明確な交代。一方日本は2点リードの後も作戦変えたようには見えなかったし、1点返されてもまだ動かず。ここで嫌な流れ変えるためにも選手交代して変化つけてみても良かったと思う。もし私が日本の監督だったら、後半で2点リードした、あるいは遅くとも2-1になった時点で、得点には貢献したけど守備の面であまりよくなかった柴崎代えたと思う。
 で、ベルギーの2点目をとったのは交代で入った選手、しかも長所である高さを生かしたコーナーキックからのヘディングで、ほぼベルギーの監督の思惑通りの同点弾。ここでようやく日本は選手交代したけど、すでに後手に回っている。あとは追いついた方と追いつかれた方のどちらに勢いがあるか、結果の示す通りといった感じだろうか。

 自分のチームが相手に優っているところをしっかり把握して、自信を持って采配をふるった監督と、試合後に「何が足りないんですかね?」とつぶやいた監督。その差。

 台風の影響出てきたな。

 
 

何故、理由なく旅に出てはいけないのですか?

 少し前から「平田オリザ」という名前がアンテナに引っかかってくるようになった。

 どうやら演劇関係の人らしいのだが、その方面には疎いというか、あまり関心がなかったのでそのまましばらく放置していたのだが、暇つぶしにネットサーフィンをしていたらまたこの名前が随分目につくので、ウィキペディアで調べてみると、若い頃に自転車でアメリカ・ヨーロッパ・トルコ・インド等々放浪の旅をした経験があるとのことで、俄然興味が湧いた。しかもその時の旅の経験を本にして出版しているではないか!

 ということで早速その著書を購入して読んでみた。16歳の少年とは思えないような深い洞察や思想にはっとさせられた。やはり頭のいい人というのは子供の頃から違うものなのだろうか。とは言っても、若者らしい微笑ましい部分もたくさんあって、自分が初めて海外旅行をした時の経験を重ね合わせたりして、読み終えたあとには「また旅して〜な〜。」と思うのだった。

 また旅のお供にしたい、繰り返し読みたい本が増えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

As time goes by

 今年になって初めてスマートフォンを持って海外旅行をした。

 私が初めて海外旅行に出かけたときは、ノートパソコンを持ち歩いて旅している人はほとんど見かけなかったし、当然スマートフォンもなかったが、インターネットが普及しはじめた頃だったように思う。旅行先で便利だからと人に勧められるがままにネットカフェに行き、ホットメールのアカウントをつくって使ってみた。日本の家族や友人、旅行中に仲良くなった人と無料で簡単に連絡がとれるこのツールに、無知な若い私は素直におったまげ、「これからはネットの時代だな。」などと思ったのを覚えている。

 で、スマートフォンwifiが普及し、まさにネット時代の現代、どこでも地図は見られるし(アプリによってはオフラインでも)、GPSの機能で現在地までわかる。宿の予約も簡単、その宿にはネット環境が整っていて、日本とのやりとりも以前のようにネットカフェまで出かけて行く必要もない。便利そのものだった。

  今回一緒に旅した私より歳上のバックパッカー氏と「昔は日本人宿とかで情報仕入れたりするのが普通だったよね〜。」なんて話になった。確かにその通りで、旅に必要な実践的な情報を提供してくれるのは旅人だった。経験豊富な先輩バックパッカーの体験談に触発されて目的地を決めたりした。それが現在はネットに取って変わったということなのだろう。ネットで情報を発信しているのも人であることに変わりはないのだが、どこか違和感もあった。

 日常生活のスタイルが変われば、旅のスタイルも変わる。昔、本で読んだり人から聞いたりして憧れていた土地も、団体旅行客でごった返すただの観光地に変わってしまっていることもある。旅は一期一会、あの日のあの景色を拝めるのは、あの日の私だけである。 

 次の旅はどこに行こうか?

f:id:halu11:20180520154359j:plain